ヴェネツィアの新病院

1964年 イタリア ヴェネツィア

ル・コルビュジエの最後のプロジェクトとも言われる《ヴェネツィアの新病院》は、複合病院施設としては老朽化していたサン・ジョヴァンニ・エ・パオロの代替としてサン・ジョッベ地区に病床数1200規模の新たな病院を建設する計画である。1959年に発案されたのち、1962年に決定的に承認され一般に公開された。本プロジェクトの弁護士であったカルロ・オットーレンギ Carlo Ottolenghi は友人のジュゼッペ・マッツァリオール Giuseppe Mazzariol(ヴェネツィア建築大学 - IUAV - 教授, クエリーニ・スタンパーリア財団 館長)に助言を求め、彼はル・コルビュジエに設計を依頼することを勧めた。ル・コルビュジエは1963年12月17日にオットーレンギに宛てた手紙をもって設計を承諾する。本計画においてはマッツァリオールの進言によって、マリオ・ボッタ Mario Bottaをはじめとした当時のIUAVの学生数名も参画していた。 1964年に本格的に始動した本計画は大きく第一案(1964年)から第三案(1966年-1970年)に分けられるが、ル・コルビュジエの死後の第三案はギレルモ・ジュリアン・デ・ラ・フェンテ Guillermo Julian De La Fuente(と、ホセ・オブレリー Jose Oubrerie)に引き継がれた。第二案(1965年)から第三案にかけては、病床数1200から800への規模縮小・礼拝堂の配置変更・予算減少など様々な変更を余儀なくされた。1978年にイタリア本土のメストレで新病院の建設が決定されたことによって本計画は終了した。

1965年5月12日に提出された「Technical Report」には本計画のコンセプトを含めた下記のような内容が記されている。
- 本病院は「水平の病院」である。
- 主に救急患者を対象とした病院で、平均15日間の入院を想定(内5日間はベッド生活)。
- 1階 都市との連携の階。受付・総合案内・水路・徒歩・橋からのアクセスを作成。
- 2階 医療技術のための階。
- 3階 入院患者と訪問者のための階。
- ヴェネツィアの建物の平均的な高さに対応させ、最大高さは13.66mとする。
- 1, 2階の高さは5m(場所により2.26mの中二階)、3階は3.66m(場所により2.26m)。
- 各患者には3m×3mの「病床ユニット」が与えられる。「病床ユニット」には、高さ2.26mの天井の上の開口部に3m×1mのガラスが張られ、正前の高さ3.66mの湾曲壁に自然光を投影させる。これらはすべてモデュロールよって構成されている。
- 合計28個の「病床ユニット」から「看護ユニット」が形成される。
- 空中庭園を廊下の屋根に配置し、開口部から見えるようにする。

また、本計画を概観すれば、《ユニテ・ダビタシオン》とは異なるセルとユニットの捉え方、〈無限成長美術館〉に見られるような平面的拡張とセル内の通路形態、《学生のための大学都市》から応用したハイサイドライトなどの特徴が挙げられる。
 3階の病室フロアは、合計28 個の「病床ユニット」が中央の広場の周囲に4つ配置されており、その間にUnité de Batisseと呼ばれる4つの通路が通っている。ル・コルビュジエはそれをここではセルと呼んでいる。セルの中に複数のユニットと通路が含まれており、セル自体が変形可能である。ヴェネツィアの建物の平均的な高さに合わせる理由から高さは変更できないため、内部にある卍型の通路を軸としてセル自体が反復・変形されながら水平面状に拡張されている。また、外周に沿って成長する〈無限成長美術館〉と同様にファサードに十分に窓が配置できないためハイサイドライトなどを用いて、この病院の設計にヴェネツィアらしい複雑さと豊かさをもたらそうとした。

〈文:池田理哲〉