建築作品
彼の建築作品は1920年代は「白い箱」、戦後は「ブルータリスム」の時代と大別されていますが、実際には、このように簡単に二分して捉えることは到底できません。
1900年代から活動を始めたル・コルビュジエは、1917年、30歳でパリに出るまでに故郷で6棟の住宅を残しています。スイスらしい山小屋風の住宅から、旅や修行での学びを反映した住宅へと変化しており、まだル・コルビュジエらしさは確立されていません。
1920年代に多く手がけた住宅作品は「白い箱」とも呼ばれますが、全部が真っ白い住宅など一つも作ってはおらず、白を際立たせるように壁面には様々な色の塗装が施されています。柱と梁で建てることで可能になった建築の特徴をまとめたのが「新しい建築の5つの要点(ピロティ、連続水平窓、屋上庭園、自由な平面、自由な立面)」であり、これからの建築のありかたを広く人々に訴えました。この時期の代表的な作品としては《レマン湖畔の小さな家》《ラ・ロッシュ+ジャンヌレ邸》《サヴォア邸》などが挙げられます。
1930年代は第二次世界大戦に近づく中、目立った実作は少ないですが、《スイス学生会館》《ナンジェセール・エ・コリのアパート》などの集合住宅や、《マンドロ夫人邸》《レ・マトゥの家(六分儀の家)》といった小住宅など、20年代からの変化が窺われる作品が登場します。これらは石、煉瓦、木、鉄、ガラスといったさまざまな素材を用い、それらを露出させることで壁面に表情をもたらしています。
そして、第二次世界大戦後、「ブルータリスム」とよばれる粗いコンクリートによる迫力ある作品が生まれます。人体を基準にしたオリジナルな尺度「モデュロール」を使った、《マルセイユのユニテ・ダビタシオン》をはじめとする多機能な集合住宅、《ロンシャンの礼拝堂》《ラ・トゥーレットの修道院》のような宗教建築、インドの都市計画と大型の建築作品、日本やアルゼンチンなどでの作品といった、多種多様な作品を世界規模で残していきます。そんな建築界の巨匠となったル・コルビュジエが最期のときを過ごしたのが、10畳ほどの小さな《休暇小屋》だったことは意外でもあり、親近感がわくことでしょう。
ル・コルビュジエの建築作品のうち17資産は2016年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。実現した79作品の陰には、数多くの実現できなかった計画案がありました。そこには創造にかけるル・コルビュジエの情熱を感じることができます。