ル・コルビュジエによる著書、論文

ル・コルビュジエは自らの身分証明書の職業欄に「文筆業」と記しています。それほど彼にとって文章を書いて伝えることは重要なことでした。

パリに出てまもなく出会った画家のアメデ・オザンファン、詩人のポール・デルメとともに出版社をつくり、1920年から発行したのが、総合文化雑誌ともいうべき『レスプリ・ヌーヴォー』(全28巻)でした。彼らは自分たちでもテキストを執筆していましたが、数人の執筆者がいるように思わせるために、一人でいくつものペンネームを使い分けていました。
「ル・コルビュジエ」は建築や絵画などについて執筆するために作った名前でした。このときの論考はのちにまとめられ、1925年頃、『建築をめざして』『近代建築名鑑』『今日の装飾芸術』などとして出版されました。こうした書籍によって、ル・コルビュジエがめざす新しい時代の建築についての考え方は、多くの人々に強い印象を植え付けることに成功したのです。

1920年代に発表した「300万人の現代都市計画」以降、都市計画についての書籍も多く発表し、1930年代後半から第二次世界大戦中には、戦争のせいで荒廃した都市の再開発についての提言をまとめた書籍も出版されました。

1927年に《国際連盟》コンペで不可思議な経緯で負けてしまったときには、『宮殿―住宅』を発表し、コンペの内幕を公けにすることで、古い体質のアカデミーに宣戦布告し、闘う建築家のイメージを広めました。

戦後には、自身がつくった新しい尺度「モデュロール」に関する書籍、手掛けた建築作品を紹介する『マルセイユのユニテ・ダビタシオン』『ロンシャン』『ラ・トゥーレット』『電子の詩』といった作品ごとの書籍も発表されました。

しかし、なんといっても彼の代表作は、『全作品(Oeuvre Complete)』という自選作品集でしょう。全8巻からなるこの作品集は、ル・コルビュジエ本人が写真を選び、コメントを執筆したもので、とくに第1巻はレイアウトも全て自身で手掛けています(第8巻は本人の没後の編集・出版)。どの作品も同等に扱われているというわけではなく、取り上げ方には大きな違いがあるため、彼がどの作品に力を注ぎ、どこに重点を置いてデザインし、何を見せようと考えていたのか、この作品集を見ると彼の建築に対する考え方が浮かび上がります。そうした意味でも非常に重要な書籍です。

また、彼の書籍の多くは、自らがブックデザインも手掛けています。表紙を眺めることで、彼のグラフィックデザインを楽しむことができます。

レスプリ・ヌーヴォー

ル・コルビュジエに関する研究書

ル・コルビュジエに関する書籍は毎年続々出版されています。

存命中には雑誌では特集が組まれ、新しい作品が完成すると、その都度紹介されてきましたが、没後50年を過ぎてもなお、新しい情報を研究書や雑誌で目にすることができます。

ル・コルビュジエは自選の作品集を出版していたように、セルフプロデュースが巧みでした。生まれ故郷のスイスで住宅を何棟もつくっていながら、作品集ではそれらの作品は無視され、パリに出てからの作品しか掲載していません。また、実現した作品よりも、できなかったプロジェクトの方を大きく扱うこともありましたし、実現したものでも、掲載図面が必ずしも実現したものと同じではありませんでした。彼は自分が見せたかった自分しか公表していませんでしたので、本人が存命中は、本人が演じていた「ル・コルビュジエ像」しか知ることができませんでした。

没後しばらく経って、本人や事務所の元に残されていたさまざまな資料が整理されるようになり、それまで知られていなかったル・コルビュジエの姿が現れてくることで、研究がすすむようになりました。そのため、いまだに新しい書籍が出版されているのです。ル・コルビュジエには、まだまだ未知の部分があるのかもしれません。