渡辺義雄
渡辺義雄(1907年 〜 2000年)は新潟県三条市出身の写真家です。
小西写真専門学校(現・東京工芸大学)で写真を学び、オリエンタル写真工業に入社。宣伝部配属時には『フォトタイムス』誌の編集などに従事し、同誌上で都市風俗やモダニズム建築を捉えた写真を発表し注目を集めます。同社を退職後、国際文化振興会写真部、国際報道写真協会、日本工房に参加。外務省の依嘱で1937年パリ万博のために「日本観光写真壁画」を制作(構成は原弘)するなど、対外宣伝や報道に携わります。1945年の東京大空襲ではネガやプリントを焼失してしまいました。
戦後は建築写真を中心に撮影。伊勢神宮を3回の式年遷宮を含め40年間にわたって撮影したことは有名です。社寺だけでなく近現代建築も撮影し、多くの写真集を発表しています。その写真は幾何学性を強調し、細部にまで目の行き届いた精緻な描写で、建築の造形美を表現しました。
また、写真文化の価値の確立のための社会的活動にも尽力し、大学で教鞭をとり後進育成にも力を注ぎました。1990年には「東京都写真美術館」初代館長となり、文化功労者に叙せられました。
没後、写真原版約3万点、プリント約5千点が、遺族から日本写真家協会に寄贈され、日本写真保存センターが保存することとなりました。
渡辺は、南仏を訪れた際、カップ・マルタンでバカンスを楽しむル・コルビュジエに会いました。《休暇小屋》に隣接する食堂「ひとで」のテラスで、胸元まではだけたシャツに白いキャップをかぶってくつろぐル・コルビュジエの姿を捉えた、非常に珍しい写真です。