世界文化遺産
マルセイユのユニテ・ダビタシオン
Unite d'Habitation, Marseille

ル・コルビュジエは戦後の都市復興に関わりたいと働きかけ続けたきたが、その機会は得られなかった。そのとき、復興大臣ラウル・ドトリーからの直接の依頼を受けたのが、港湾都市マルセイユにユニテを建てることだった そして、これはル・コルビュジエにとって初めてのフランスでの公共の仕事であった。
マルセイユはル・コルビュジエにとって「ホメロス的な景観、地中海を通じた人的・物的交通の到着点、文化と技術交流の交差路」であった 敷地は二転三転したのち、ミシュレ通りに面した約3.7haの四角い敷地に決定した。ミシュレ通り側(東側)と海側(西側)が主要なファサードとなっており、各住戸のロジア側壁の色彩が快活な印象を与え、打ち放しコンクリートの外観に躍動感を与えている 南側にもロジアや窓があるが、北側は窓のないコンクリートの壁である。
緑地の真ん中に太陽を浴びてそびえる《ユニテ》は、「鉛直方向の庭園都市」や「豪華客船」のコンセプトを実現し、彼が考案してきたさまざまなアイデアの統合である。
長さ135.5m、幅24.4m、高さ56mの巨大な箱は、主構造、基礎、支柱、人工床盤はすべて現場打ちの鉄筋コンクリート、ファサードやロジアのパネル類はプレハブで作られており、基準となっているのは、人体寸法を元にした尺度「モデュロール」であった。
地上を解放し、設備類を収めたピロティの層(1層)、商店(食料品店、レストラン、郵便局など)が入る中間層(8層)、幼稚園やジム、プール、屋上庭園、屋上をぐるりと走れるコース、演劇や集会をするための舞台がある屋上(17層)の間に、23タイプ337戸の住戸が収められた。生活に必要な機能を備えている適正な規模の住まいの単位であることから、「アパート」ではなく、「ユニテ・ダビタシオン(Unité d’habitation)」と名付けられ、その後の集合住宅の原点となった。
なお、ピロティの上、本棟の床下部分の層は空洞となっており、設備関連一式がその部分に収められている そのため、太いピロティの脚はユニテを支えているだけでなく、内部はパイプスペースとなっており、電気をはじめ、さまざまな配管が入っており、メンテナンス時にはこの中に入って作業する。
インテリアはシャルロット・ペリアン、ジャン・プルーヴェとの協働である。
代表的なメゾネットタイプ・・・・薄暗い中廊下に面した玄関から入ると、太陽の陽射しが一気に差し込んでくる。キッチンの先に吹き抜けのリビングがあり、住戸内階段を上がると、上階には、吹き抜けに面した主寝室、そしてバスルーム、子供部屋が配されている 東西両方に開いているため、それぞれの方角から午前中と午後の眩しい地中海の太陽を享受できる 各住戸の全面ガラスはオーク材の枠がついた開き戸で、ロジアは部屋の延長部分として利用される。
