世界文化遺産
ワイセンホーフ・ジードルングの住宅
Maisons Weissenhof-Siedlung

ドイツ工作連盟が主催し、ミース・ファン・デル・ローエがディレクターとなって、十数名の新進気鋭の建築家に声をかけて実現させた新しい住宅建築を紹介する「住宅建築博」に、ル・コルビュジエは1家族用と2家族用の2棟の住宅を建設した。
短期間の建設だったため、現場には弟子のアルフレット・ロートが常駐して実現につとめた。
吹き抜けや壁面のカーブの表現に、この時期のル・コルビュジエらしさが見られ、可動間仕切りの棚や収納式ベッドなどによって、一つの空間を昼夜2パターンで使うなど、空間を有効利用できる工夫がなされており、こうした工夫が最小限住宅の提案へとつながっていった。
一家族用住宅(Bruckmannweg 2)住宅No.13
シトロアン住宅の実現化。
シトロアン型量産住宅案(1922)においてル・コルビュジエは、「自動車のような家屋」、「列車や船室のように構想、処理された住宅」、「道具としての住宅」、「タイプライターのように便利な家」を構想したと語っている。
二家族用住宅(Rathenaustrasse 1-3)住宅No.14&15
70センチ幅の廊下の内側に、列車のコンパートメントを意識して、キッチン、バス、リビング、寝室など住宅の機能を全て押し込んだ。ベッドは、昼間は折りたためるようになっており、可変式間仕切りによってあらゆる生活の多様性に対応できるフリープラン(シングル・ルーム)が考えられている。
