「ル・コルビュジエと牡牛」

 古来より芸術家たちが一番描いた動物は何だろう。身近にいる犬や猫、あるいは馬などは当然数多く描かれている。そんな中でも、牡牛の存在は特別である。
牛は8千年ほど前に家畜となって以来、牽引の動力として重宝され、肉・牛乳・チーズとして食用とされるようになり、各地でさまざまな品種が作られた。牛は我々の生活に密接に関係する家畜であるが、神話や伝説に登場することが多く、よく知られている話がいくつもある。
ギリシャ神話では、エウロペに一目ぼれしたゼウスが、白い牡牛に変身して彼女を誘拐し、エウロペは白い牡牛(ゼウス)との間にミノスを産む。王となったミノスは、ポセイドンとの約束を破ったことで、その怒りをかい、王妃パーシパエと牡牛との間に牛頭人身の怪物ミノタウロスが生まれてしまう。乱暴なミノタウロスはラビリントス(迷宮)に閉じ込められていたが、英雄テセウスによって倒されるという話がある。
宗教にも牛は登場する。紀元前1世紀から5世紀にかけて発展した「ミトラ教」は、太陽神(ミトラス)を信仰し、聖なる牛を神の生贄とした。「ヒンドゥー教」では、シヴァ神が白い牡牛に乗っていることから、牛も崇拝の対象となった。
洞窟壁画に登場して以来、描かれることが多かった牛だが、20世紀においても最も多く描かれた動物の一つである。牡牛やミノタウロスの原初的な力は、旧習や古い世界を壊して新しい世界をつくろうとした芸術家たちに受け入れられた。ピカソは自身を牡牛に投影させ、闘牛や牡牛が登場する作品を数多く残している。1930年代に刊行されていたシュルレアリスムの雑誌『ミノトール』は、著名な画家たちが毎号の表紙にミノタウロスを描いた。

 ル・コルビュジエが牡牛を一つのテーマとして繰り返し描くようになるのは1950年代である。彼は1950年にインド政府から新州都チャンディガールの建設の依頼を受け、翌年以降、繰り返しインドに滞在している。牛たちが人と同じように街中を闊歩するインドでの滞在経験は、1952年以降、一連の「牡牛」と名付けた作品を描くようになったきっかけの一つとなっただろう。《州議会議事堂》では、メインエントランス扉を彩るエナメル画には、太陽と緑の大地と動物たち―立派な角をもつ巨大な瘤牛をはじめ、ヤギ、ニワトリ、ヘビ、カメなどが描かれている。

 詩画集『直角の詩』においては「男は半分の正を営んでいるにすぎない やがて残りの半分がやってきて接合される」と記し、牡牛と女性が顔を寄せる親密な姿を描いている。ここで描かれるのは、ゼウスが姿を変えた牡牛とエウロペ、あるいは、自身を投影した牡牛と妻イヴォンヌの姿と読み取れよう。また、女性が牡牛の頭を抱えているような姿は、パーシパエと彼女が産んだミノタウロスを表していよう。
ル・コルビュジエはこうした牡牛を描く一方で、牡牛とは無関係のオブジェを組み合わせることで、オリジナルな「牡牛」像を作り出した。ワインボトルやグラスが描かれた静物画を90度回転させることで生み出した「牡牛」や、切り株と小石を組み合わせて作り出した「牡牛」である。
牡牛の目と鼻孔は「無限大」を示す記号によって描かれている。この記号はミノトールの迷宮を暗示しているようだ。牡牛の最大の武器である角が、頭上に数本描かれている。牡牛の顔には女性の顔が重なっている。
彼は、自分が作ったオブジェを繰り返し描くことによって、形は変容していき、さまざまな牡牛のバリエーションを生み出した。

 牡牛のモチーフは建築にも登場している。それは、牡牛を象徴する大きな角のフォルムを建築に取り込むケースと、牡牛モチーフを図像として建築に刻むケースに大別される。
彼は詩画集『二つの間に』の中で、「牡牛のしるし」を示している。そして、《パルテノン神殿》を描き、その屋根を上下逆転した形「」を載せた建築のスケッチを描いていることから、彼がつくったV字型の屋根の形は「牡牛のしるし」であったと言えよう。こうしたフォルムは、《州議会議事堂》、《高等裁判所》や、フィルミニの《文化の家》などで見ることができる。

 さらに、牡牛を壁に刻んだケースとしては、フィルミニの《文化の家》が挙げられる。外壁に刻まれた牡牛の図像は、ル・コルビュジエの署名がわりと言えよう。

 ル・コルビュジエが卓上の静物を多視点から幾何学的構成で描いたのが1920年代前半であり、そこに丸みやふくらみが加わるのが1920年代後半。20年代末には詩的なオブジェとよんだ骨や貝殻を描き、同時に女性を多く描き始める。彼の絵画は短い周期で変化し、40年代以降は、自分で作り出したキャラクターによって物語をつむぐような作品を描いている。そのなかで、とくに好んだ存在である牡牛に彼は自身を投影し、その力強い牡牛の姿は絵画だけでなく、建築の中に取り込まれていったのである。