雑誌
20世紀初頭から前半にかけてはさまざまな芸術運動が興り、それらの活動に合わせて、多くの雑誌が生まれては消えていきました。ル・コルビュジエもいくつもの雑誌に協力し、寄稿しています。しかし、ル・コルビュジエにとって最も重要な雑誌は、自らが編集、発行を手掛けた『レスプリ・ヌーヴォー』です。これは、まだパリで業績を挙げるチャンスが無かった彼が、世に知られるようになるきっかけとなった雑誌です。
『レスプリ・ヌーヴォー』第1巻
(1920年)
パリに出てまもなく出会った画家のアメデ・オザンファン、詩人のポール・デルメとともに出版社をつくり、1920年から1925年にかけて発行したのが、総合文化雑誌ともいうべき『レスプリ・ヌーヴォー(L’Esprit Nouveau)』(全28巻)でした。彼らは自分たちでもテキストを執筆していましたが、多くの執筆者がいるように思わせるために、一人でいくつものペンネームを使い分けていました。それまで本名のシャルル・エドゥアール・ジャンヌレで活動してきた彼が、建築や絵画などについて執筆するために名乗ったのが「ル・コルビュジエ」でした。つまり、この雑誌において「ル・コルビュジエ」は誕生したのです。『レスプリ・ヌーヴォー』に執筆した論考はのちにまとめられ、『建築をめざして』『近代建築名鑑』『今日の装飾芸術』などとして出版されました。こうした書籍によって、ル・コルビュジエがめざす新しい時代の建築についての考え方は、多くの人々に強い印象を植え付けることに成功したのです。
この雑誌以外にも、彼はいくつもの建築系の雑誌に寄稿していますし、『ミノトール』というシュルレアリスムの美術雑誌にも親戚の画家ルイ・ステールについての論考を発表するなど、さまざまな雑誌に文章を発表し続けました。