企画展:《エスプリ・ヌーヴォー館》100年 
ル・コルビュジエの「ピュリスム」絵画

公開期間:2025年4月~2025年10月

紹介作品:ル・コルビュジエによる絵画、参考写真など36点

 1925年、今からちょうど100年前、パリでは「国際装飾芸術博覧会(通称「アール・デコ博」)」が開催されました。キラキラと輝く幾何学的で装飾的なデザインが一世を風靡し、世界中で大人気を博しました。その博覧会に、ル・コルビュジエは自らが出版していた雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』(1920~25)の名前を付けたパビリオン《エスプリ・ヌーヴォー館》を作って参加しました。そこでは一方ではパリの大改造計画「ヴォワザン計画」を紹介し、もう一方では、その計画の中で建てることを想定していた集合住宅《イムーブル・ヴィラ》のなかの 1住戸を紹介しました。モデルルームの室内には大量生産の工業製品による食器や調度品が置かれ、壁には自分や友人たちが描いた絵画作品や彫刻作品が置かれました。《エスプリ・ヌーヴォー館》はそれまでル・コルビュジエが活動してきた「ピュリスム」の画家としての活動を示す最後の機会でもありました。

 「ピュリスム(純粋主義)」は友人の画家アメデ・オザンファンの主導で始まり、彼との決別によって終焉を迎えた運動です。複雑になりすぎたキュビスムを批判し、対象を純粋な幾何学的形態で表現することを命題とし、第一次世界大戦後の「秩序への回帰」という風潮にもマッチして注目を集めました。彼らが対象として選んだのは、大量生産が生み出した装飾や無駄の無い工業製品でした。「普遍的オブジェ(オブジェ・ティプ)」と呼んだこれらの簡素で幾何学的な美しさは、何世紀にもわたって人々が作り上げた民芸品にも通じるものであり、さらには古典芸術にも通じるものでした。彼らは絵画の対象として描くだけでなく、生活調度として、これらの工業製品を使うことを主張しました。彼らが追求した「ピュリスム」は絵画だけでなく、生活全般に及ぶもので、ル・コルビュジエが設計した住宅建築に展開されました。

 幾何学的で厳しい構図の中に描かれたオザンファンとル・コルビュジエの絵画作品は、当初は非常に似通っていましたが、ル・コルビュジエの作品には繊細で透明感があるなかにも動きや力強さが見られるようになり、次第に違いが明確になってきました。やがて二人の間に力関係の変化や方向性の違いなどが生じて、二人は袂を分かつことになります。

 1925年に「ピュリスム」から離れてからのル・コルビュジエは、より建築の仕事に力を入れ、約10年間は絵画を公表することはありませんでしたが、その間に描かれた彼の絵画を見ると、個々のオブジェが存在感を増し、さらに、女性のモチーフ、「詩的なオブジェ」と呼ぶ骨や貝殻が登場し、シュルレアリスム的な表現を取り入れるなど、大きな変化をみせています。

 本展では、ピュリスム期のル・コルビュジエの絵画の変遷と、同時期に彼が手掛けた住宅建築をご紹介いたします。

<作品詳細>

SECTION 1

パリの屋根

暖炉

赤いボウル

ヴァイオリンとヴァイオリンケース

静物

静物 ギターと瓶

静物

垂直ギター(バージョン1)

垂直ギター(バージョン2)

SECTION 2

赤いバイオリンの静物

静物

オレンジワインのボトル

《レマン湖畔の小さな家》

《レマン湖畔の小さな家》

《レマン湖畔の小さな家》

《ラ・ロシュ+ジャンヌレ邸》

《ラ・ロシュ+ジャンヌレ邸》

《ラ・ロシュ+ジャンヌレ邸》

多くのオブジェのある静物

『エスプリ・ヌーヴォー』

『建築をめざして』

SECTION 3

エスプリ・ヌーヴォー館の静物

《エスプリ・ヌーヴォー館》

《エスプリ・ヌーヴォー館》

《エスプリ・ヌーヴォー館》

《エスプリ・ヌーヴォー館》

コンポジション

水差しとコップ ―
空間の新しい世界

《ワイセンホーフ・ジードルング》

《ワイセンホーフ・ジードルング》

《ワイセンホーフ・ジードルング》

《サヴォワ邸》

《サヴォワ邸》

《サヴォワ邸》

《サヴォワ邸》

静物

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